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焚火×哲学カフェを開催しました
テーマ:「あなたには、本物の絆をつくれるか」

学校教育学科
准教授 上月 康弘

10月20日(火)「焚火×哲学カフェ」を行いました。

マルティン・ブーバーは、著書『我と汝』において、人間は、眼差され、名指されるという「入れ替えのきかない他者」となり得ることによって、勇気や力が湧いてくると述べています。

一方で、資本主義を自明とする現代社会のシステムは、業績や営業成績といった数値や機能へと自己を置き換えがちです。つまり、自己を「入れ替え可能な他者」へと還元させていきます。だからこそ、これからの社会へと踏み出していく学生たちにとって、「あなたでなければならない」「あなたがいるから力が湧く」という、他者とのかけがえのない相互関係を築くことが、社会を力強く生き抜くうえで決定的に重要であると考えます。

しかし、家族の空洞化、人口減少、さらにはSNSやAIの発展によって、そもそも「人と関わること自体が面倒だ」「本音は言わずにやり過ごせばいい」と感じる若者が増えています。テクノロジーの発展や物質的な豊かさは、人間関係を構築する力の低下や、そもそも人間関係を結ぶ必要性そのものを見えにくくしているという課題があります。

こうした背景から、今回の焚火×哲学カフェでは、以下の三つの問いを設定して議論を深めました。

〈問い①〉「本物の絆」とは何か。

〈問い②〉友達、仲間、家族、恋人等に「本物の絆」は形成可能か。

〈問い③〉「本物の絆」をつくるうえで、私たちにどのような感受性、自己への理解(実存の問題)、他者との対話の力が必要か。

議論のなかでは、学生たちから次のような率直で多様な意見が出されました。

・高校時代の部活で言い合いになったことがある。お互いの思いや目的を共有し、本音を出し合えたときにつながりを感じた。本音を出し合える関係こそが本物の絆だと思う。

・「絆」という言葉があまり好きではない。どこか善いものとして着飾るような、偽善のように感じてしまう。

・自分のことをまるごと受け止めてくれる仲間がいる。自分の状態が悪い時でも笑って流してくれるような理解があり、安心して本音を出せるからこそ、本物の絆はあると思う。

・血がつながっていれば、それは絆であり本物の関係だと思う。親子はたとえ仲が悪くても絆だと言えるが、夫婦は血がつながっていない分、長年寄り添うような絆をつくるのは難しいのではないか。

・自分の成長ステージごとに人間関係は変化するものだから、目的やプロジェクトが終われば絆も終わるものだ。

・自分の本音を言うことはとても大切だと思うが、実際にはなかなか言えない。本音を伝えることで、自分が人からどう思われるか、嫌われることが怖いという気持ちがある。

・人間関係は常に移りゆくものだと思うし、人間はそもそも孤独ではないか。

その後、対話はさらに深まり、次のような発展的な議論へと展開していきました。

・絆の深さは、その人のために「自己防衛をどれだけ解除できるか」ということに関係するのではないか。(結局は自分自身の問題)

・人とのつながりがなくてもある程度生きられるようになったからこそ、絆が浅くなったのではないか。逆に、絆を深くするためには、あえて文化水準や生活水準を低下させることが有効なのではないか。

・片方だけが「この人とつながりたい」と思っていても、絆の形成は難しい。お互いがその思いを持つことが必要不可欠だと思う。

・自分の夢や目標を大切な人と共有し、理解してもらうことが大切である。深く理解し合える人とつながっていくことが重要だ。

人類学的な話題から実存的な問題、これに派生して「自己や絆そのものに実体はあるのか」という認識論的な問題に至るまで、今回の焚火×哲学カフェは、これまででも極めて深く、壮大な話し合いとなりました。

今回の学びを生かして、学生たちが内側から湧きあがる内発性を育み、今後の生活や社会のなかで発揮していけることを願っています。

 

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