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1847年善光寺地震資料の研究成果を松本市立博物館ウインドウギャラリーで展示
観光ホスピタリティ学科
教授 入江 さやか
信州を襲った直下型地震
1847年に現在の長野市を震源として発生した「善光寺地震」の被害に関する資料に関する研究の内容を、松本市立博物館のウインドウギャラリーでパネル展示しています。
松本市立博物館 画面奥がウインドウギャラリー
善光寺地震は、弘化4(1847)年5月8日(旧暦3月24日)午後10時ごろ、現在の長野市を震源として発生したマグニチュード7級の内陸直下型地震です。地震発生当時、7年に1度の「善光寺御開帳」のために全国から参拝客が集まっており、死者は1万人ともいわれています。一方、千曲川支流の犀川では、岩倉山(虚空蔵山)の山体崩壊で河道閉塞(河がせき止められること)が発生し、多数の集落が水没しました。
松本から江戸へ被害を「速報」
研究の対象とした資料は、4枚の絵図と書状を貼り合わせて表装されています。書状をみると、松本から江戸に送られたものと推測され、日付は「四月五日夜四ツ時出ス」とあり、地震が発生してから、約10日後に発信されていました。電話もインターネットもない時代に、地震発生の10日後にこれだけの情報を収集、発信できたことに驚かされます。
絵図には、岩倉山で大規模な土砂崩れが発生し(図1)、犀川がせき止められて上流の集落が水没している様子(図2)が描かれています、また、書状には、現在の松本市中心部の被害が記されています。土蔵、住宅、商店などが被災したものの、松本城は無事であること、寺社の石灯篭は残らず倒れ たこと、住民は大道に小屋をかけて避難していたとのことです。
図1 山体崩壊を起こした岩倉山(虚空蔵山)
図2 土砂崩れでせき止められた犀川に集落が水没している
過去の地震から学ぶものは
長野県内には多くの活断層が存在しています。中でも長野県を南北に貫く「糸魚川ー静岡構造線断層帯」は、向こう30年間の地震発生確率が最も高い「Sランク」と評価されています。松本市は、糸魚川ー静岡構造線断層帯の中北部に位置しており、最大でマグニチュード7.6程度の地震が想定されています。もしこのような地震が起きれば、善光寺地震と同様に木造住宅の倒壊はもちろん、中山間地では土砂災害で川がせき止められるおそれもあります。この絵図は、信州、そして松本市が抱える災害のリスクを改めて教えてくれるものなのです。
この展示は、松本市立博物館のウインドウギャラリーで8月中旬まで行われています。ギャラリーは博物館の外周にあり、無料で、夜間など閉館中でもご覧いただけますので、夏の夕涼みがてらぜひお立ち寄りください。
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