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2008/02/15
- アウトキャンパス・スタディ事例
ナーマル・オヤの人々に勇気を与えたい―学生による自主活動 スリランカ訪問レポート
学生の自治組織である「松本大学ナーマル・プロジェクト推進チーム」は、本学で学ぶスリランカの留学生ラナシング・ウメンドゥラ君と観光ホスピタリティ学科2年生の若旅俊介君らが、スリランカ国ナーマル・オヤの地域開発を目的に設立した。チームで考える開発は、「Human Development」で、相互の人間的な発展と成長を目指した活動過程を開発と位置付けている。
昨年9月、スリランカ大使館や長野県スリランカ友好協会と協力し企画した「スリランカ チャンナ・ウプリ民族舞踊団 チャリティーショー」の収益金143,000円の一部を学校の運営に充てていただくため12月にスリランカを訪ねた。その訪問記を若旅君が寄せてくれたので、以下紹介する。
スリランカ ナーマル・オヤを訪ねて
私は昨年の12月22日から29日にかけてスリランカに行ってきた。今回、私がスリランカを訪問したのは、ナーマル・オヤというエリアへ行くためだった。
私は、松本大学ナーマル・プロジェクト推進チームという組織に所属している。これは一年ほど前に、スリランカからの留学生のウメンドゥラ君と尻無浜准教授により組織されたものであり、そこに私は加わったのだ。”Human Development”を信条とするこの組織は、活動を通して関わり合う、相互の人間的発展・成長を目指すものである。
ナーマル・オヤというエリアは、スリランカ政府による新規開拓地であったため、人々が移り住んだはいいが、もともと産業などが根付いておらず、貧困化を辿り現在に至っている。
私たちの活動の内容というのは、このナーマル・オヤにおいて、人々が“可能性を見つけるきっかけ”をつくることである。
今回のスリランカ訪問の目的は、実際にこの眼で現状を見てくることであり、言わばこの活動の本当のスタートであった。
22日の14時頃、成田からコロンボに向かい出発した。約9時間でスリランカに到着した。搭乗中に機体のカメラで上空からのスリランカを見たのだが、驚いた。全く灯りが見えないのだ。到着したときは現地時間で20時頃だったのだが、空港に近づいてやっと見えたくらいだった。飛行機から降りてまず思ったことは、「暑い」。気温は24℃で、少し前まで雨が降っていたようで、蒸し暑かった。同じ北半球ながら、成田では5℃くらいだったので20℃もの気温差があったことになる。
空港にはウメンドゥラ君が彼の父親とともに出迎えに来てくれており、そのまま彼の家に向かった。この日は彼の家に泊まった。
翌朝、9時頃にナーマルオヤへ向けて出発。昨晩は暗くてよくわからなかった町の様子を眺めながら、車で350kmほど離れたナーマル・オヤを目指した。途中、アマラさん(ウメンドゥラ君の父親)の知人で宝石の採掘をしている人の家を訪ね、作業の様子を見せてもらったり、検問に引っ掛かったり、道が悪かったり(湖の水が溢れて水没していたり)して、結局、着いたときには18時を過ぎていた。この日はアンパラという町のゲストハウスに泊った。
翌日、私たちは、ボランティアで学校の先生をしている女性たちの支援もしているのだが、昨年9月に催したチャリティーショーで集まったお金の一部を彼女たちへ届けることも今回の訪問の目的だったため、まず学校へと向かった。学校では先生と子どもたちが待っていて、歓迎のセレモニーを開いてくれた。その後、校長先生の家に行き、現状の説明やプロジェクトのプランについて意見交換をしたあと、6Bと呼ばれる、ナーマル・オヤの中でも最貧困地域とされるところに向かった。
ナーマル・オヤには電気・水道・ガスなどのライフラインは無く、現代の日本人の感覚からしたら、“ありえない”この一言に尽きるだろう。その中でも貧しいとされるところなので、テレビなどでしか見たことの無いような様子が、目の前に現実としてそこにはあった。私はどうすればいいのかわからなくなった。かける言葉も、どう振舞えばいいのかもよくわからなかった。ただ資料用にビデオカメラで撮影するだけだった。よく貧しくても笑顔で暮らしているだとか、人々が温かいだとか言われることがあるが、それは全てではない。話を聞いて感じたのは、満足なんて出来ないがどうにもならないから仕方ない、といった諦めだった。
この日もアンパラで泊り、翌日はキャンディーという町へ行き、スリ・ダラダという寺院を訪ね、そして、翌々日コロンボに戻ってきた。
27・28日はコロンボの街の中の様子を見て廻り、チャリティーショーのとき誘致した舞踊団のウプリさんの自宅へ挨拶に行き、現地時間で20時頃コロンボを出て29日の11時頃に日本に戻ってきた。
思っていたよりも移動に時間がかかり、ナーマルで過ごす時間が削られてしまったのが残念だったが、今回の訪問は私個人としてもとても貴重な体験となった。これからのプロジェクトを進める上で色々と課題も見つかり、もう一度考え直さなければいけない。現在は2・3月の休みを利用してプランの練り直しを図っているところだ。4月以降は新入生も加え、出来るだけたくさんの意見をもとに活動を行っていきたいと思う。
昨年9月、スリランカ大使館や長野県スリランカ友好協会と協力し企画した「スリランカ チャンナ・ウプリ民族舞踊団 チャリティーショー」の収益金143,000円の一部を学校の運営に充てていただくため12月にスリランカを訪ねた。その訪問記を若旅君が寄せてくれたので、以下紹介する。
スリランカ ナーマル・オヤを訪ねて
私は昨年の12月22日から29日にかけてスリランカに行ってきた。今回、私がスリランカを訪問したのは、ナーマル・オヤというエリアへ行くためだった。
私は、松本大学ナーマル・プロジェクト推進チームという組織に所属している。これは一年ほど前に、スリランカからの留学生のウメンドゥラ君と尻無浜准教授により組織されたものであり、そこに私は加わったのだ。”Human Development”を信条とするこの組織は、活動を通して関わり合う、相互の人間的発展・成長を目指すものである。
ナーマル・オヤというエリアは、スリランカ政府による新規開拓地であったため、人々が移り住んだはいいが、もともと産業などが根付いておらず、貧困化を辿り現在に至っている。
私たちの活動の内容というのは、このナーマル・オヤにおいて、人々が“可能性を見つけるきっかけ”をつくることである。
今回のスリランカ訪問の目的は、実際にこの眼で現状を見てくることであり、言わばこの活動の本当のスタートであった。
22日の14時頃、成田からコロンボに向かい出発した。約9時間でスリランカに到着した。搭乗中に機体のカメラで上空からのスリランカを見たのだが、驚いた。全く灯りが見えないのだ。到着したときは現地時間で20時頃だったのだが、空港に近づいてやっと見えたくらいだった。飛行機から降りてまず思ったことは、「暑い」。気温は24℃で、少し前まで雨が降っていたようで、蒸し暑かった。同じ北半球ながら、成田では5℃くらいだったので20℃もの気温差があったことになる。
空港にはウメンドゥラ君が彼の父親とともに出迎えに来てくれており、そのまま彼の家に向かった。この日は彼の家に泊まった。
翌朝、9時頃にナーマルオヤへ向けて出発。昨晩は暗くてよくわからなかった町の様子を眺めながら、車で350kmほど離れたナーマル・オヤを目指した。途中、アマラさん(ウメンドゥラ君の父親)の知人で宝石の採掘をしている人の家を訪ね、作業の様子を見せてもらったり、検問に引っ掛かったり、道が悪かったり(湖の水が溢れて水没していたり)して、結局、着いたときには18時を過ぎていた。この日はアンパラという町のゲストハウスに泊った。
翌日、私たちは、ボランティアで学校の先生をしている女性たちの支援もしているのだが、昨年9月に催したチャリティーショーで集まったお金の一部を彼女たちへ届けることも今回の訪問の目的だったため、まず学校へと向かった。学校では先生と子どもたちが待っていて、歓迎のセレモニーを開いてくれた。その後、校長先生の家に行き、現状の説明やプロジェクトのプランについて意見交換をしたあと、6Bと呼ばれる、ナーマル・オヤの中でも最貧困地域とされるところに向かった。
ナーマル・オヤには電気・水道・ガスなどのライフラインは無く、現代の日本人の感覚からしたら、“ありえない”この一言に尽きるだろう。その中でも貧しいとされるところなので、テレビなどでしか見たことの無いような様子が、目の前に現実としてそこにはあった。私はどうすればいいのかわからなくなった。かける言葉も、どう振舞えばいいのかもよくわからなかった。ただ資料用にビデオカメラで撮影するだけだった。よく貧しくても笑顔で暮らしているだとか、人々が温かいだとか言われることがあるが、それは全てではない。話を聞いて感じたのは、満足なんて出来ないがどうにもならないから仕方ない、といった諦めだった。
この日もアンパラで泊り、翌日はキャンディーという町へ行き、スリ・ダラダという寺院を訪ね、そして、翌々日コロンボに戻ってきた。
27・28日はコロンボの街の中の様子を見て廻り、チャリティーショーのとき誘致した舞踊団のウプリさんの自宅へ挨拶に行き、現地時間で20時頃コロンボを出て29日の11時頃に日本に戻ってきた。
思っていたよりも移動に時間がかかり、ナーマルで過ごす時間が削られてしまったのが残念だったが、今回の訪問は私個人としてもとても貴重な体験となった。これからのプロジェクトを進める上で色々と課題も見つかり、もう一度考え直さなければいけない。現在は2・3月の休みを利用してプランの練り直しを図っているところだ。4月以降は新入生も加え、出来るだけたくさんの意見をもとに活動を行っていきたいと思う。